たもの土間

絵や漫画を描く事について、日々思った事を書きます。 そして本の事やガジュマルの事(多分書かない)

・描いていて楽しい素材、物、事柄だけ描いてみる。クオリティは気にしない。
例)髪の毛だけ、目だけ、雲だけ、水だけ、宝石だけetc...

↑石原結實先生の本、フランソワ・ブーシェの解説動画から思いつく。


・ざっくり部屋の模様替えをした。作業スペースを日向に近くしてより太陽光不足を解消したい。

・模様替えに合わせて自作したスタンディングデスクが思ったよりも良い感じ。いつもより集中できる気がする。

・立ちながら作業してるとかかとに疲労が溜まってくる。新感覚。

・神社で買ったお守りどこにつけるか迷う。とりあえずカバンと財布、PCのオーディオインターフェイスに落ち着く。

と思う今日この頃。



運動は毎日やらなくてもすぐに死んだりしない。
学生時代を除いて、運動はほとんどしないって人も多いんじゃないでしょうか?

でも好きな人は、プロになって辛い練習をしてでも試合やレースに出場する人もいます。


創作も同じで、毎日どころか一生で一度も関わらずに人生を終える人もいます(むしろそういう人の方が多いと思う)

かと思えば日々鍛錬し、いくつもの作品を世に出し続ける人もいるわけです。




やる人とやらない人、この違いってなんなのだろう?
そもそも毎日創作することの意味ってなんだろう?

と考えました。




私の持論ですが、運動と創作は精神面で得られるメリットが近いと考えています。
分かりやすく言うとストレス発散。


運動をした後に気分がスッキリすると思います。

創作も同じで、作品を作り上げた時の達成感は何者にも代えがたい感覚です。
これがストレス発散に近いと考えています。


しかし「もっと早く走りたい」「もっと長い距離を走りたい」という目標を掲げてしまうと、その目標が達成できなかった時にストレスを感じてしまいます。

創作も同じです。「あの人みたいな作品が作りたい」「みんなから褒められるような作品を作りたい」という目標を掲げてしまうと、自由が無くなって窮屈に感じませんか?



運動に逆輸入してみると分かりやすいです。


「あの人みたく走れるようになりたい」
「みんなから応援してもらえるランナーになりたい」ということです。



プロでもない一般人が・・・、いやプロでさえもこうやって考えている人は少ないんじゃないでしょうか?

自ら進んで走る人は、ただ走るのが楽しいから走る。それが根本にあると思います。




そうすると運動や創作をする理由として「自分が気持ち良いと感じるからそれをする」事が大切と言うことに行き着きました。

私も作品作りのハードルを上げてしまい、取り掛かる前からその高さに挫折するという自爆事件ばかり起きています。

そうではなく、まずは自分が感覚的に直感で気持ち良いと感じることをしてみるのが大切です。
そうなってくると、自分が気持ち良いと感じることってなんだろう・・・。




こんなことを考える時点で、自分は凡才かそれ以下なのだなあと感じてしまいます。
しかし凡人は凡人なりに足掻いてみたいです。





最近読んだ斎藤孝先生の「斎藤孝のざっくり!美術史 5つの基準で選んだ世界の巨匠50人」という本の中に、【人を惹きつける絵を描ける人物は、突き動かされる何かよって絵を描かずにはいられない】的な事が描かれていました。

レオナルド・ダ・ヴィンチしかり、フィンセント・ファン・ゴッホしかりです。

人生をかけてでも絵に全てを注ぎ込みたいという強い思いがあるからこそ、名作が生まれるのです。


きっと毎日運動や創作を続けられる人の中には、突き動かされる何かによってやらずにはいられない人が一定数いるのでしょう。

羨ましく思ってしまいます。



自分の描いている絵は、ありきたりでよくある画風の普通のデフォルメイラストです。
突き動かされる何かとかで描いてません。

正直言うと「惰性」「ネットとの繋がり」そして「暇つぶし」が目的です。なんなんだろうなあ。

精神的にすり減ったのもあります。最近色々あったしどっか島国まで旅したいです。






このブログも大真面目に記事を書いてますが、最近過去の記事を読み返して自分の醜い裸体を見てるようで恥ずかしいです。




ちなみに上記に出た斎藤先生の「ざっくり〜」は中々面白いです。
複雑な美術史を斎藤先生の視点でわかりやすく解説してあるので、私みたいな初心者にはうってつけでした。

この本を読んで「絵ってこんなに自由に描いて良いんだ」という発見もあり良い意味で価値観がリセットされました。


自分のやりたいことを考え直さなきゃいけませんね。



と実感しています。

最近気付いたのですが、どうやら私はアウトプットよりインプットの方が苦手みたいです。
見識を広めようと努力を試みても、アウトプットのことばかり考えて手に付かない事が多々あります。

特にアウトプットした後は無気力になりがちです。

そうなってくるとストレスで食べ過ぎてしまったり、無理やり徹夜したりと生活習慣を乱していました。思えばこれはインプットの代価行為だったのではないかと思い始めました。



創作するには「感動」という名のインプットが必要になります。
音楽や映画、小説やゲームなど手法は様々です。

しかし私は普段のインプット量が少ないのも相まって、創作後の精根尽き果てた状態の時にインプットをする術を身につけていませんでした。


そうなってくると手っ取り早いのが「食べる事」だったり「性欲を満たす事」「睡眠」などです。


普段の食事量に加えて多く食べてしまうのは、「創作で使ってしまったインプットを食事などで補おうとしていた」のだと考察します。

「単純にストレスで食べ過ぎてるだけだろ!」というツッコミが飛んできそうですが、そういった言葉で片付けてしまうと逆に悪化してしまいます。

事象を曖昧なままにせず、「なぜ」「どうして」を突き詰める事で対処していけるのではないかと考えました。自分で言うのもなんですが偉そうですね。




そう考えると、創作がいかに重労働であるかが身にしみて分かります。


とりあえずの対策は「適度なインプットを習慣化する」という事でしょう。

ではどうするのか?考えてみました。




1、自分ができそうなインプットから始める。
何もインプットは高尚な事ではございません。
それこそ日々の生活の中にもあふれています。散歩したり料理をしたり、バラエティを見たりでも十分なインプットです。

特にアウトプット後の燃え尽き状態だと、映画や小説などはハードルが高過ぎます。
まずは自分のできることから始めましょう。

私は現在絶賛燃え尽き中なのですが、自然とバラエティやお笑い動画を見る気力はあるみたいです。
そういう動画を見ながら英気を養いつつ、力が戻ってきたときに少し気力のいるインプットをすれば良いのです。

一番まずいのは、無気力のまま無目的に過ごし時間を浪費してしまう事です。

まずは段階を踏んで、自分のできることから始めましょう。





2、多ジャンルでインプットする。
偏ったジャンルではなく、まんべなく網羅することで飽きずにインプットができます。
また一つのジャンルに絞られると、考えが凝り固まって柔軟な発想ができません。

私の友人にものすごく活動的な音楽家がいるのですが、野球観戦をしたりバーに飲みに行っておしゃべりしたり、地域の行事に参加したりと、音楽以外もものすごくアクティブなのです。

一見音楽とつながりのないインプットに見えても、実はそこに音楽活動を盛んに行うヒントがあったのだと思います。


また色々なジャンルから知識を得ることによって、思いがけない作品が生まれることもあるでしょう。
そういった偶発性も引き起こせるので、なるべく趣向の違うジャンル同士に触れるのも一つの手です。


私も力が戻ってきたら、講談やミュージカルなど人生で観たことのないジャンルに手を出していきます。





3、インプットを語れる相手と語らう。
話せる相手がいることで、インプットも意識的に行えるようになります。

「あの映画見た?」「最近読んだ本でさー」というかるーいノリで良いのです。

同時に人に話すという行為がアウトプットになるので、インプットしたことの整理としても効果を発揮します。また、相手の意見によってインプットしたことを違う視点から読み解くこともできるでしょう。

まさにインプットを2倍にも3倍にも美味しくしてくれる行動です。

こうなると積極的に語らいたいのですが、最近の私は私生活で人と話すこと自体が本当に少ないです。
休日も、コンビニ店員との空気みたいなやり取りだけという始末。

このままじゃいけないので、まずは人と話す機会を増やすことから始めます(泣






以上です。

昔からインプットは大切だと思い実践はしていましたが、いまいち身にならずにいました。

こうして改めて分析することで、意識改革し行動に移していきます。





とりあえずやれることをやる!

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